言葉の限界 |
06.26 Fri |
mixiに言葉の限界というコミュがありまして、ああ、それは私も常々思い悩んでいたことがあった。と思って入ってみた。
言葉の限界の先はどうやって実現したらいいのかについてみんながアイディアを出し合っていた。
言葉の限界の先について、せっかくなので私もここで考えてみることにしました。
長いので追記!
・・・最近、言葉の限界を思わなくなったのはなぜだろう???
少し前々では言葉の限界、表現の殻が気になって息苦しかった気がしたんですが。
あ、私が言葉の限界と言うときは、話し言葉とコミュニケーションのことではなくて、文章表現のことなんですけども・・。
言葉に限界があるのは、言葉にルールがあるからだと思っていたような気がします。
語学的な表現の規則・・・
そこから抜け出せば一つの限界は突破するような気がする。
日本語的に、とか国語的に、とか、思うと、まったく限界のラインはすぐそこではないかとおもいます。
私は美しい日本語は諦めました(笑) というか見限ったというか(笑)
いつのまにか好きなように書くことにしていたようです。
だって読んでくださる皆様が、私の無茶な表現、伝わらない気がしていた表現を、その感性でもって感じてくださっているのを見ると、日本語のルールにこだわる必要がないと思えてきたのです!!
ああ ありがたや・・
言葉の限界を突破する方法として、一般に分かりやすく言うならば、私は 前々から言っている「言霊」を提言したいと思います。
ここでいう言霊は私の解釈によるものですが、つまり、辞書に掲載されている使い方よりももっと感覚的に読み手に訴える言葉のエッセンス。
言霊として言葉を用いると、日本語のルールから逸脱します。
そこでそういう言葉はつかわんだろう・・というアレです。
しかしそれでつたわり、それで美しく見えるならよい!
言霊表現は特に詩において多い、それはなんとも衝撃的で美しい! きっとみんなもそれを知っているはずだと思います。
ところが「では言霊をさっそく使おう」と思ってもこれがたぶんそう簡単にいかない。
これを使うためには言葉のエッセンスを感じなくてはいけないわけですから、やはり言葉と接する時間を長くしないといけないのかなあと思います。
ひねって出すというよりも、思ったまま書くためには、思ってすぐに言葉が出てくるくらいに言葉と仲良しにならないといけないのかもしれない。
コミュのトピックでは、表現の限界について検討してるというよりは、伝達の限界について悩んでいらっしゃるようだった。
伝えたい事柄を言葉によってだけでは正確に伝えられないと悩んでいるわけです。
私はこの点については、諦めたほうが潔いような気がしたりします。
芸術表現においてはとくに、諦めたほうがいい。私の見ているものを寸分たがわず人に見せることなんて出来ないし、それゆえになんて楽しい素晴らしい。
論文的表現において正確に伝えたいんだ、というならば、果てしなくシンプルな言葉を使うべきだと思います。そう習うもんね。
それから私個人としては 数うちゃ当たる 方式を用いています。
1文で正確に伝えることなんてムリに近いので、とりあえず、一つ事柄を示すための形容や説明を、ひたすら重ねる。
似たような説明をたくさん重ねると、その平均から対象の形を推測することができるかもしれない。
それでさえ近似であって、完璧なイコールになどならない。
主観を完全に一致させることは出来ない。
それは言葉であろうと、それ以外であろうと、ほとんど無理な話ではないかとおもいます。
それにしても言葉を操るときのコツはたぶん、自分の主観と感情を交えることだと最近わたしはよく思います。
なかなかうまく言葉が出てこないなあ、手紙文とかかけないよとか、そういうときは、ありきたりな言葉ですが、心を籠めればいいとおもいます。正直に心をこめると言葉は出てくる。自分から切り離して書こうとするとやっぱり言葉は抜け殻になって、バラバラになって、つながってこないもののような気がするのです。
長々になってしまったからここらでやめよう。
言葉に関しては結構、歩いてきたな、と言う気がします。ほんとにこのサイトのおかげだなあ。閑古鳥は鳴いてるけど、やっててよかったとおもいます! いつも言ってるけど、今まで来てくださった全ての方にありがとう!
言葉の限界の先はどうやって実現したらいいのかについてみんながアイディアを出し合っていた。
言葉の限界の先について、せっかくなので私もここで考えてみることにしました。
長いので追記!
・・・最近、言葉の限界を思わなくなったのはなぜだろう???
少し前々では言葉の限界、表現の殻が気になって息苦しかった気がしたんですが。
あ、私が言葉の限界と言うときは、話し言葉とコミュニケーションのことではなくて、文章表現のことなんですけども・・。
言葉に限界があるのは、言葉にルールがあるからだと思っていたような気がします。
語学的な表現の規則・・・
そこから抜け出せば一つの限界は突破するような気がする。
日本語的に、とか国語的に、とか、思うと、まったく限界のラインはすぐそこではないかとおもいます。
私は美しい日本語は諦めました(笑) というか見限ったというか(笑)
いつのまにか好きなように書くことにしていたようです。
だって読んでくださる皆様が、私の無茶な表現、伝わらない気がしていた表現を、その感性でもって感じてくださっているのを見ると、日本語のルールにこだわる必要がないと思えてきたのです!!
ああ ありがたや・・
言葉の限界を突破する方法として、一般に分かりやすく言うならば、私は 前々から言っている「言霊」を提言したいと思います。
ここでいう言霊は私の解釈によるものですが、つまり、辞書に掲載されている使い方よりももっと感覚的に読み手に訴える言葉のエッセンス。
言霊として言葉を用いると、日本語のルールから逸脱します。
そこでそういう言葉はつかわんだろう・・というアレです。
しかしそれでつたわり、それで美しく見えるならよい!
言霊表現は特に詩において多い、それはなんとも衝撃的で美しい! きっとみんなもそれを知っているはずだと思います。
ところが「では言霊をさっそく使おう」と思ってもこれがたぶんそう簡単にいかない。
これを使うためには言葉のエッセンスを感じなくてはいけないわけですから、やはり言葉と接する時間を長くしないといけないのかなあと思います。
ひねって出すというよりも、思ったまま書くためには、思ってすぐに言葉が出てくるくらいに言葉と仲良しにならないといけないのかもしれない。
コミュのトピックでは、表現の限界について検討してるというよりは、伝達の限界について悩んでいらっしゃるようだった。
伝えたい事柄を言葉によってだけでは正確に伝えられないと悩んでいるわけです。
私はこの点については、諦めたほうが潔いような気がしたりします。
芸術表現においてはとくに、諦めたほうがいい。私の見ているものを寸分たがわず人に見せることなんて出来ないし、それゆえになんて楽しい素晴らしい。
論文的表現において正確に伝えたいんだ、というならば、果てしなくシンプルな言葉を使うべきだと思います。そう習うもんね。
それから私個人としては 数うちゃ当たる 方式を用いています。
1文で正確に伝えることなんてムリに近いので、とりあえず、一つ事柄を示すための形容や説明を、ひたすら重ねる。
似たような説明をたくさん重ねると、その平均から対象の形を推測することができるかもしれない。
それでさえ近似であって、完璧なイコールになどならない。
主観を完全に一致させることは出来ない。
それは言葉であろうと、それ以外であろうと、ほとんど無理な話ではないかとおもいます。
それにしても言葉を操るときのコツはたぶん、自分の主観と感情を交えることだと最近わたしはよく思います。
なかなかうまく言葉が出てこないなあ、手紙文とかかけないよとか、そういうときは、ありきたりな言葉ですが、心を籠めればいいとおもいます。正直に心をこめると言葉は出てくる。自分から切り離して書こうとするとやっぱり言葉は抜け殻になって、バラバラになって、つながってこないもののような気がするのです。
長々になってしまったからここらでやめよう。
言葉に関しては結構、歩いてきたな、と言う気がします。ほんとにこのサイトのおかげだなあ。閑古鳥は鳴いてるけど、やっててよかったとおもいます! いつも言ってるけど、今まで来てくださった全ての方にありがとう!
